スポハラ

更新日:2023年05月04日

日本スポーツ協会が「No!スポハラ」と題してスポーツにおけるハラスメントの根絶を目指した活動を開始しました。

https://www.japan-sports.or.jp/spohara/

5月3日(水)の日経新聞にも「適切な指導の共有意識を」という記事で日本スポーツ協会の取り組みを紹介しています。

記事によれば日本スポーツ協会の調査で依然として「競技力が向上するなら体罰や暴言などがあっても構わない」と考える人が1割程度存在するそうです。調査の母数がどの程度かを記事では明らかにしていませんが、「いかなる理由があっても不適切な指導があってはならない」とセットの選択肢がある中で、不適切指導を容認する考え方があるというのは、スポーツ界の根強い「シンキングエラー」だと言わざるをえません。

不適切な指導を容認する考え方の背景には、サバイバー(生存者)の合理化という現象が起こっています。

例えば体罰や暴言を受けた1000人の競技者がいたとします。そのうちの数名が体罰や暴言に耐えながら競技力を伸ばし一定程度の実績を残したとします。

実績をあげた競技者の指導者は、「体罰や暴言があったから、実績を残すことができた」と短絡します。自分の都合のいいように合理化してしまうのです。

実績を残した人の意見は力を持ちます。発言力のある人が「体罰や暴言は愛情の裏返し」などと発言すれば、あたかも体罰や暴言が競技力向上に効果があるような気がします。

一方で、そのほか大勢の人が、体罰や暴言に傷つき、競技をやめていった人たちがいるはずです。しかしそういう人たちの存在は忘れ去られます。なぜなら挫折だけを味わい、発言力もありません。

このようにしてサバイバーと呼ばれる一部の人の間違った考え方があたかも正しい考え方のように流通していまいます。

自分が受けた指導が正しい指導だと思い込み(合理化し)、競技者が指導者となったときに不適切な指導を正しいものだと信じ込んで行い、それが負の連鎖となってしまいます。

競技におけるミスを指摘するだけであれば誰でもできます。体罰や暴言が競技力向上につながるという科学的・客観的な根拠は一切ありません。おそらくサバイバーは、体罰や暴言がなければ、もっともっと競技力を向上させていたと思います。

良い指導者は、競技力をより改善できる具体的で説明可能、実現可能な練習メニューを準備するはずです。

そのような練習メニューがあれば、競技者を恐怖で脅さなくても、積極的に参加します。
(学校現場であれば、教材研究であり、授業ということになります。)

「No!スポハラ」

是非、日本スポーツ協会のホームページをご覧いただければと思います。