失敗と学習(コラム)

更新日:2023年03月22日

 子どもは「できないこと」だらけの環境の中に生きています。赤ちゃんは、初めから歩いたり、走ったり、言葉をしゃべったりすることはできません。そういう意味では「できないこと」に囲まれて、それでも失敗を繰り返しながら、学習していきます。このこと自体がとても素晴らしいことであり、その姿を見ている周囲の大人たちに勇気を与えることもしばしばです。

 一方で、ある程度成長すると、「できている」ことが当たり前となってしまい、むしろ「できないこと」に目が行きがちになります。

 例えば、大人が「あなたは〜ができていないね」と指摘されれば、どんな気持ちになるでしょうか?

 その指摘に、傷ついたり、悲しんだり、怒りを感じたりするはずです。なので大人同士では相手の失敗を見つけて、それを周囲の人が見ている前で直接的に指摘するようなことは避けます。それだけでなく失敗が起こらないように、事前に綿密な計画を立てたり、周囲の人がフォローしたりしながら、チームで物事を進めていきます。

 なのであれば、子どもの失敗を見つけて、それを周囲の人が見ている前で直接的に指摘してもいいのでしょうか?

 子どもも大人と同様に、失敗を指摘されれば、傷ついたり、悲しんだり、怒りを感じるはずです。 

 そもそも子どもは大人に比べ「できないこと」がたくさんあるから学校で学習をしているわけで、つねに失敗を繰り返しながら学習をすすめていきます。あえて失敗を指摘する必要もないくらい、多くの失敗をせざるをえません。そこにあえて大人が子どもの失敗を指摘して、傷つける必要はどこにもありません。

 心理学の世界では、科学的に「学習性無力感」ということが証明されています。失敗を指摘しつづけると、学習することそのものをやめてしまうという恐ろしい状態です。

 私たち大人が子ども時代を振り返ってみて、どんな大人のことを思い出すでしょうか。

 結果だけを見てその失敗を指摘する人のことは思い出したくもありません。失敗を指摘するだけなら誰でもできます。失敗することを前提に「挑戦」したことを勇気づけてくれたり、暖かくそれを見守ってくれたりした人を思い出すのではないでしょうか。

 つまり結果だけをみて失敗を指摘する必要は全くなく、失敗してもなお挑戦しようとする子どもを応援することが大人の役割なのだと思います。

<まとめ>

子どもはそもそも「できないこと」に囲まれている。結果だけを見て「できないこと」だけを指摘すれば無用に傷つけ、学習性無力感を持ち、学習そのものをやめてしまう。

失敗をしながらもその挑戦する姿を大人は応援したり、見守ったりするほうがよい。