なぜ漢文を読むのか?(コラム)

更新日:2023年03月07日

私たちはなぜ漢文を読むのでしょうか?

 漢文というと「中国の古典」で、大手前丸亀では中3から、公立では高校1年生から学習します。多くの人は大学入試で必要だからという理由で読み、そして高校卒業後に漢文に触れる機会はほとんどありません。しかし漢文は、大学入試の一時期だけのものではありません。私たちは、日常の中で無意識のうちに漢文を読んでいます。

 例えば「読書」という言葉は、立派な漢文です。漢字だけで書かれた中国の古文を「白文」と言います。白文を日本語として読むことを「訓読」と言います。「読書」を訓読すると「書を読む」となります。

 「離陸」であれば「陸を離れる」、「登山」であれば「山に登る」、「流水」であれば「流れる水」などのように私たちは、日常生活の中で、当たり前のように漢文を読み、そして理解しているのです。

 漢文を勉強することは、中国の古典を学習するだけにとどまらず、現代の日本語に歴史の厚みを持たせ、教養を身につけていくことになります。

 少し話が変わります。古い本になりますが「翻訳語成立事情」という本があります。その本の中には以下のことが書かれています。

 私たちが普段使っている言葉に「社会」「個人」「自然」「権利」「自由」などがあります。これらの概念は近代以前の日本にはなかった西洋の概念です。それを当時の知識人たちが漢字に翻訳することで成立した言葉になります。現代において当たり前につかっている言葉(概念)の背景には、当時の人たちに漢文の深い造詣があったからこそ、翻訳が可能であったと言えます。

 「社会」「個人」「自然」「権利」「自由」という言葉があるので、私たちはその言葉の意味するものを獲得しようと思考し、行動することができます。

 漢文がただ古臭いもの、受験だけに必要なもの、と考えるのではなく、現代をかたちづくる基礎となっていることに気がつくと、漢文に対する見方が変わってくると思います。

<まとめ>

私たちはなぜ漢文を読むのか?

漢文は、現代の日本語や現代社会の基礎となる概念を扱うための教養であると言えるから。