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私たちはなぜ古文を読むのでしょうか?
この問いについて考えていくうえで、以下のような具体例をまず考えてみたいと思います。
「かたみに恋しう思し添ふことさまざまなれど、夢ならで通ひぬべき身ならねば、現の頼め絶えぬる心憂さのみ思しつづけ、大空をのみうち眺めつつ、もの心細く思しわたりけり。」
これは、ある年のセンター試験の古文で出題された文章の冒頭の一文です。
(この物語には、男君と女君と二人の家来が登場します。)
「かたみに」というのは、重要古文単語で「互いに」という意味です。正確な知識がないと、「かたみに」を「片身に」と考えて、「ふたりのうちの一人が」と訳してしまいます。また「かたみに」を「形見に」と考えて、「亡くなった人や別れた人を思い出す時のきっかけとなる品物」だとする人もいます。もし「ふたりのうちの一人が」と訳せば、この文章は「かたみに」の後に「恋しう」という言葉があることから「片思い」の話だと思い込んで読み進めていくことになります。また「形見に」と考えた人は、登場人物の誰かが亡くなってしまったと思い込んで、読み進めていくことになります。
重要な古文単語を知らなければ、自分で勝手な物語をつくりながら読み進めることになります。古文読解において古文単語を正確に覚えることはとても重要なことです。
「思し添ふ」の「思し」は「おぼし」と読みます。終止形は「おぼす」ですが、これも重要な古文単語であり、重要な文法事項でもあります。「お思いになる」という意味で尊敬語になります。尊敬語があるということは、主語になる人は身分の高い人であることが推測できます。つまり「お互いに恋しくお思いになっている」のは、登場人物の男君と女君と二人の家来の4人の中で、男君と女君であることがわかります。
古文では主語が書かれないことが多いので、読み進めているうちに主語がわからなくなって文章が読めなくなるということがよく起こります。そのため主語を把握することは古文読解において最も重要な要素の一つとなります。
上記のような知識があって初めて、「かたみに恋しう思し添ふことさまざまなれど、」という古文を「男君と女君はお互いに恋しく物思いをつのらせなさることが様々であるけれど」という現代語訳をすることができます。
現代語訳をするだけでは不十分です。現代語訳をしたものにさらに分析を加えていきます。「恋しく物思いをつのらせなさる」というのは心情を描写しています。「恋しい」のであれば、通常、「会う」という行動をとると推測できます。しかしここで「ど」という語が逆接の接続助詞だという文法知識があれば、「恋しいけれど会えない」という話が展開されるのではないかと推測することができます。
「夢ならで通ひぬべき身ならねば」という短い文の中にも重要な文法や単語がいくつもありますが、説明は省略して現代語訳をすると、「夢でなければ通っていくことができる身ではないので」(=現実では通うことはできないので)となります。先ほど「ど」が逆接の接続助詞であることから推測した内容が、実際に読み進めてみると本文の内容と合致しています。文法の知識があれば、次の話の展開を根拠をもって推測することができるので、読みが早く正確にできるようになっていきます。
この後の説明も、かなりの量になるので、省略して、現代語訳だけを紹介します。
「男君と女君はお互いに恋しく物思いをつのらせなさることが様々であるけれど、夢でなければ通っていくことができる身ではないので、現実にあてにさせた逢瀬がたえてしまったつらさばかりを思いつづけなさり、大空ばかりを物思いに沈みながら眺めては、心細く思いつづけていらっしゃった。」
古文を読解しようと思うと、一文だけでも単語・文法・古文常識などの知識を必要とします。文章全体の読解となると、必要な知識は相当なものとなります。またその知識を覚えているだけでなく、知識を活用して、分析して、当時の人々の心情や文化までも読解していく必要があります。これは共通テスト、私立や国公立大学の入試問題であっても状況は変わりません。読解力は短時間で簡単に身につくようなものではありません。
さて、なぜこのような努力をしてまで古文を読むのでしょうか?
現代の人にとっても古文に登場するような昔の人にとっても「恋しく思う気持ち」や「恋人に会えないつらさ」そういう時に、「物思いに沈んだり」「心細く思う気持ち」は、普遍的なものであることが、古文を読むことで分かります。今も昔も変わらないものがあるということに気づくだけで、孤独から解放されて、何か勇気をもらえるような気持ちになります。
勉強すること=普遍的なものに出会うこと
古文を読むということは、「今、ここ」だけに縛られることなく、「昔の別の場所」の価値観に触れることができます。「今、ここ」というのは、点であるのに対して、「今、ここ」に加えて「昔の別の場所」の価値観を手に入れるということは面であると例えることもできます。
英語を学べば、英語を話す人とコミュニケーションをとることができます。同様に古文を学べば、昔の人とコミュニケーションをとることができます。
共通テストや多くの大学の入試問題で古文が出題されますが、その意図としては、今生きている人だけでなく、すでに亡くなってしまった先人たちともコミュニケーションをとって多様な価値観や人類に共通する普遍的な価値観を学び取って、幅広い教養を身に付けることです。
<まとめ>
なぜ私たちは古文を読むのか?
私たちは、多様な価値観や普遍的な価値観を学び取るために古文を読みます。